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コンパに関する旅行記

円高ソウルで買い物☆ @グランドハイアットソウル...

年末のアメリカ旅行でのお買い物が少ーし不完全燃焼だったので(十分買った、との声もありましたが…笑)、3泊4日でソウルにお買い物へ。

タッチの差でセールが終わってしまった免税店もありましたが
でも意中のものも購入でき、大満足♪

今回はとにかく買い物。初韓国の彼には申し訳ないくらい、買い物(笑)。
そしておいしいものを堪能して帰ってきました。

宿泊はグランドハイアットソウル。
日本人のゲストは割りと少なく、欧米や韓国の方が多かったようです。

お部屋は非常にコンパクトでしたが、スムースなサービスや使い勝手のよいルームデザインで大満足でした。

2010/09/02 11:09:00

8月 灼熱のフィレンツェ...

思い切って10日間の休みを取り,イタリア旅行を決意!

ローマ→ミラノ→ベネチア→フィレンツェ→ピサ→ローマ
という(北部の行きたい都市を全て詰め込んだ)強行日程
を組みました。

フィレンツェは,町がコンパクトなので,とても観光がしやすかったです。ミケランジェロ広場の景色は,今回の旅行で一番きれいでした。

2010/08/31 10:08:05

2010 夏 第3弾!サザンの茅ヶ崎へ!~無国籍庶民料理 J...

十数年前から大好きだった、無国籍料理を出す Jammin'(ジャミン)。
七里ガ浜にあり、とても雰囲気がよく美味しい最高のお店でした。
(http://4travel.jp/traveler/cozykozy/album/10192926/)

藤沢に2号店が出来ても、七里ガ浜本店に通ってました。
しかし、昨年突然の七里ガ浜店閉店。
ショックでした。

そしたら、今年、茅ヶ崎に新店舗がオープン!

夏になったら行かなくては!

と、言う事で食べてきました、呑んできました!


HP: http://homepage3.nifty.com/jamming/
  (お店のHPですがまだ、七里ガ浜店がのっています。)
  http://gourmet.walkerplus.com/111004644003/
  (グルメWalker)




《使用カメラ》
 LUMIX DMC-TZ5 (コンパクト・デジカメ 2008年購入)
 

2010/08/29 03:08:07

1997春、韓国紀行2(2):4月27日:夜行フェリーで釜山...

<1997年4月27日>

 4月27日昼前に名古屋空港を出発し、1時間半後には釜山郊外の金海(キメ)空港に到着しました。海上を飛ぶ時間はわずかです。島伝いに少し飛べば、すぐに韓国といった感じでした。

<釜山到着>
 未だ、海の上でなければ交通手段を持っていなかった昔でも、容易に往来ができたであろうことが空の旅から想像できます。地理的に日本とは、本当に近い国です。
 九州、とりわけ対馬とは殊更です。空港到着後、釜山市内へは大韓航空の青塗りのリムジンバスで移動しました。その後、すぐに釜山港へと向かいました。演歌でお馴染みの『プサンハン』です。最初のおおざっぱな計画では、夜のフェリーに乗って済州島に渡り、2日ほど島内観光をする予定です。

<フェリーの予約>
 例によって、一切の韓国内移動の乗り物、宿も予約無しの旅です。もし、フェリーが予約できなかった場合は、釜山で1泊する予定でした。
 幸い、釜山を19時発、翌朝7時に済州島到着の便が予約できました。乗船まで少し時間がありましたので、荷物をコインロッカーに預け、港付近を1時間ほど散策しました。
 毎回のことながら、手荷物1つにコンパクトにまとめてはいるものも、荷物を持って歩くのは煩わしいことです。夕刻時を迎えて、市場は賑わいを見せはじめていました。早くも屋台で焼酎を飲みはじめている現地の人を見掛けました。チャガルチ市場の中でした。
 しかし、夕食には早過ぎる時間でした。まだ明るいし、名古屋とは実質的に約1時間の時差もあります。そこで、2人で相談し、夕食はフェリーに乗船してからとることに決めました。
 ところで、今日が旅行の初日です。フェリーに乗ってしまった後では、何となく食べ物にありつけない心配もありました。念のため、のり巻(キンパップ)を夜食用に買っておくことにしました。

<済州島へ>
 予定通り19時に釜山港を出港できました。案内された船室は、廊下に面したドアを開けたところにありました。船室は広間とベッドルームに別れていて、14人分の2段ベッドが設えてありました。2等か3等船室に当たるのでしょう。
 それでも、雑魚寝の大部屋にくらべますと、誠に恵まれています。部屋に案内されて暫くは、他の船客は入ってきませんでした。それで、最初は自分たち2人だけかと喜んでみたものの、次第に人が増えて、7人ほどになりました。
 済州島は、韓国の新婚さんのメッカのようです。昔の日本で言えば、宮崎、別府、あるいは伊豆半島の観光地といったところです。日本の場合、今は海外旅行が主で、状況が変わってしまいました。韓国でも、本当のお金持ちのカップルは、海外旅行になるようです。

<父との思い出>
 船上から眺めた釜山の街は、山の中腹まで家々が立ち並んでいます。その昔、父に連れられて見た、佐世保の町並みが思い出されました。長崎県の港町です。それも、ずいぶん昔の事であり、私の中学生の時です。
 この時食べたあんかけの魚の味も忘れられません。若い頃、平戸で育ち、玄界灘で育った父は、海のこと、魚のことをよく語ってくれました。
 新鮮な鯛が手に入った時は、母に替わって父が鯛茶漬けを作るのが恒例でした。白い身が熱湯で反り返り、淡泊な味付けの一飯が、今でも忘れられない思い出となっています。
 魚は『釣ったばかりの刺身より、浜で焼いたのが一番』だと言うのも父の口癖でした。佐世保で食べた、あんかけの白魚は、私にとってはご馳走でしたが、父は満足できる美味しさではないと言って、少しだけ不満そうでした。
 父にとっては、本当に美味しい味、あるいは思い出に繋がる特別の味があったのかも知れませんでした。その頃の自分には、とうてい理解できる世界ではありません。その父が亡くなって、既に10年以上の歳月が経ちました。
 釜山は、山が海近くまで迫っており、良港は、こんな地形に出現するようです。昔のことで、曖昧な記憶になってしまいましたが、佐世保の町もこんな感じでした。父は若い頃、この町で、薬局を開いていたこともあったと、私たち兄弟に話してくれました。

<夜行フェリーの旅>
 釜山は、韓国第2番目の都市であり、船から眺める夜景も素晴らしいものでした。普段目にする、高いところから眺める夜景と違って、海面に浮かぶ不夜城でした。
 名古屋からは、済州島までの飛行機直行便があります。この島だけが目的なら、今回のような経路は無意味です。しかし、釜山の夜景を見ながら、船旅での済州島巡りというのも一興あります。何物にも代え難い、旅そのものです。
 船内には、一応食堂も設備されていましたが、メニューはあまり変わり映えしませんでした。日本語が話せるマスターの勧めに従って、焼き肉定食にしました。
 ほかの客も似たようなものを注文していました。ほとんどマスターの誘導であることが分かりました。多分、『お値打ちで早く出来ますよ』などと言って勧めたのかも知れません。あるいは、ほかの料理は『少し時間がかかりますが、それでもいいですか?』と言ったことでしょう。
 国内航路の夜行のフェリーでは、食べ物に贅沢はできないようです。普段、夜にはコーヒーを飲みませんが、少し退屈になったのと、丁度船内に喫茶コーナーがありましたので、この習慣を破ることにしました。食事を終わってしまえば、何もすることがない、夜行の船旅です。
 無理して早く寝ようと思いましたが、コーヒーのカフェインとあいまって、エンジンの音と振動で、寝付きはよくありませんでした。船室の位置によっては、相当に騒音と振動があるようです。これが旅の風情であり、音でしょうか。
 しかし、鉄道のレール切れ目で発する規則音と同じようにも思えて、次第に気にならなくなりました。それで、次第に眠りの中に誘われていきました。


  釜山に向かう機上で
 春霞釜山は近き島伝い

  釜山の町中で
 飾付け半ばなりけり花祭り
 
 灌木を卍に植えし若葉哉

  釜山港から済州島へ向かう船上で
 春霞釜山の灯りやがて去り

 春の夜の長きを過す島巡り

 花飾る車と共にフェリー往く

 湾の外船は泊りぬ春明かり

 春宵にハングル聞きし旅の夜

 春の海山迫りたる釜山港

 春の風船に纏わり釜山発つ

2010/08/29 03:08:13

2000秋、イタリア旅行記(3):10月7日(1)バチカン市...

<2000年10月7日(土)>

 ローマのホテルは、郊外のリージェント・ホテルでした。2泊なので、到着した前の晩に荷物を少し整理し、翌朝の市内観光に備えていました。
 今日から毎日、前日に約束された時間にモーニングコールの電話が入る事になりましたが、その1時間以上前には起床していましたので、寝過ごしの安心料でした。別々の部屋をとられた毛受さんは、それよりも早く起きだされていましたので、尚更の事でした。

<ホテル付近>
 今朝も朝食の時間より1時間以上前に支度ができたましので、ホテル付近を散歩することとしました。毛受さんもご一緒です。ホテルの近辺は、郊外の住宅地といった趣で、閑静な地域でした。
 時計では6時台ですが、サマータイムの関係で、実際にはそれより1時間早い時間です。薄暗いといった感じで、途中見かけた露天でも、一杯のライトを灯していました。少し驚いた光景では、歩道上のガソリンスタンドです。幅1m位のスペースに、極めてコンパクトなスタンドが設えてありました。無人で運営されているようです。
 個人住宅や、集合住宅でもセキュリティは厳しいらしく、ぴったり閉ざした門の脇には、電子式の呼び出しか開錠装置のようなものが、例外なくセットしてありました。

<バチカン市国>
 午前中の市内観光は、最初の目的地がバチカン市国、サン・ピエトロ寺院でした。カソリックの総本山とあって、壮大な規模です。2000年、ミレニアムの行事の最中とあって、人出も多くありました。教会といっても「人混みではスリに気を付けるよう」再度注意を促され、荷物の持ち方にも神経を配りました。
 教会へと続く前庭は聖ペテロ広場と呼ばれ、半円形の回廊で囲まれています。解説書では、ベルニーニの傑作とありました。その回廊の上には聖人像が隙間無く並び、更に正面入り口に繋がる直線部分の回廊へと続いています。この広場には30万人を収容できるというので、その規模に驚かされます。
 『バルコニーから法王が姿を見せられます』
 と、現地ガイドさんから聞きました。そのバルコニーの窓の位置も決まっているようです。現地ガイドさんは、
 『今日は、法王がこの寺院に滞在されているようです』
 と解説されました。しかし、そんなに簡単に姿を拝見できるはずはありません。寺院の中はナトリウムランプのようなものでライトアップされていて、撮影には
 『Vサインを出したり、不謹慎なポーズでなければ、自由です』
 と教えて貰いましたので、要所、要所で記念撮影したり、祭壇を写したりしました。

<コロッセオ>
 解説書から少し引用します。ベスパシアヌス帝(在位69~79年)の時に起工し、ティトウス帝の80年に完成したといいます。日本でいえば、ヒミコの時代を更に200年弱遡る事になります。
 『その後、幾度かの大地震に見舞われて、昔のままの姿を4階部分までとどめている箇所は僅かです』
 この部分は、現地でのガイドさんの説明です。写真にも収めました。有料でしたから、希望者だけが入場しました。その頃は快晴で上着を脱ぎたくなるような陽気でした。まさか、この日、雷雨に合うとは全く予想できませんでした。
 紀元1世紀に、これほどの規模の競技場が造られたことは驚きに値しますが、実見して一層その思いが強くなりました。ここで、もう一度解説書を引用します。
 『一説によると、7万3千人を収容できた」
 とあります。更にその規模を
 『外周527m、高さ約50m、楕円形の長径188m、短径156m』
 と解説していました。急な階段を2階部分まで登りましたが、その1階分を登るのに骨が折れました。2階から見下ろす中央部分には、通路のようなものが設えてありました。しかし、立ち入る事はできませんでした。その下は地下室部分になっていて、修復か、発掘作業が行われているようでした。
 上り口を良く覚えていなかったので、帰りは出口を探すのに、少し苦労しました。

<雷雨>
 パスタの店で昼食を摂っているうちに雷雨となり、その内に雷鳴が聞こえるようになりました。地下の店なので、落雷地点までの距離を測ることはできませんが、相当に近い気配がしました。もし、電光を見ることができたら、雷鳴までの時間を計り、1秒当たり300mを掛けてやれば概算できます。5秒であれば、1.5km、10秒であれば3kmといった具合です。ただし、ゴロゴロとハッキリしない音や、10秒を超える場合などは余り正確ではありません。
 パスタの店を出る頃が一番激しく雨が降り、雷鳴が鳴り、電光が光っていました。
 『30分もすれば小止みになりますよ』
 と周りの方には説明しておきましたが、暫く店先で雨宿りしていたものの、三々五々に雨中に飛び出して自由観光の時間になりました。

<市内自由観光>
 昼食を摂ったパスタの店先に最後まで残ったのは、金沢から見えた歯医者のご夫妻と私だけになってしまいましたが、大分小止みになりましたので、出かけることにしました。一旦は、毛受さんや渡辺さんとも逸(はぐ)れてしまいました。
 しかし、行き先は、免税店のある三越デパートであることが分かっていましたので、あせる事もありませんでした。後でお聞きした事ですが、先に店を出た人たちも、余りの土砂降りに途中で雨宿りをされていたそうです。
 バリ島旅行の時にも経験しましたが、雨が降ると傘売りが大勢繰り出してきました。ここでは、インド系の方が多いように見受けました。ミラノでも傘売りを見かけましたので、どうやら天候が変わりやすいのかも知れません。その傘は折り畳み式で、値段も高くはないようでした。お土産代わりに買われた人もいました。私は、リュックには必ず軽い傘を持参する事に決めています。
 三越デパートで毛受さん、渡辺さんや他のメンバーの方とも落ち合う事ができました。渡辺さんは逸れた私を探しに戻られたようで、申し訳ないことをしてしまいました。デパートの免税店を覗く前に、渡辺さんに教えてもらった店で両替をしました。毛受さんもご一緒です。その店は、三越のすぐ近くでした。まだ少し雨がぱらついていました。両替店は、結構あちこちにあるようなので、取敢えず2万円だけを両替しました。

<スペイン広場、トレビの泉>
 自由行動といっても、まだ渡辺さんに頼っていたようです。スペイン広場で解散してからは、それぞれ本当の自由行動になりました。ただし、その前に一寸したハプニングの前兆がありました。荷物をお土産店に預けてから散策に出かけたためです。
 少し遅れたために説明を聞きそびれ、「荷物はホテルに届けてもらえる」と都合よく解釈してしまいました。幸いこのハプニングは、ホテルに戻って気が付き、またまた、渡辺さんにお世話になってしまいました。ホテルからそのお土産店に電話を入れて貰ったら、ぎりぎりセーフで、最後に土産店に戻られたT自動車にお勤めのご夫婦に、ホテルまで荷物を届けて戴けることになりました。最初はタクシーで取りに戻ろうかと毛受さんと相談していたところでした。ただただ、感謝です。
 ところで、話は戻ります。スペイン広場を出発してトレビの泉に向かいましたが、結構難しく、中々たどり着けませんでした。適当に方向と距離感だけで向かったためです。市内散策を兼ねていましたので、「見つかればよし、見つからなければそれもよし」といったところもありました。それでも、トレビの泉らしい景色が見えてきた時には、「やった」という感じでした。
 結論から言えば、トレビの泉にたどり着いてラッキーでした。単に有名な場所というだけではなく、十分に価値がある彫刻群に眼を奪われました。その時は雨もすっかり上がっていました。

<ディナーショー>
 オプションでカンツォーネを聴くディナーショーがありましたので、毛受さんと一緒に申し込みました。
 案内してくれたのは母親が日本人という、若い女性の現地ガイドさんでした。一旦戻ったホテルからバスで出かけました。運転手さんは、このガイドさんに一時の休みも無く話しずくめでした。これが、イタリア式の女性に対する普通のサービス精神かと感心しました。早口に聞こえるイタリア語なので、全く内容は分かりません。世間話程度でしょうが、残念ながらゆっくり話されても、全く分かりません。
 ディナーショーは階段を下りた地下の店でセットされていました。現地ガイドさんを出迎えてくれた店の人は、親しく挨拶を交わしていました。いつも利用されているために、顔見知りなのでしょう。
 その日の客は我々日本人のグループと、アメリカから来たという団体でした。そちらの方が大勢で、既に席に着いていました。細長いテーブルには紅い蝋燭が灯され、準備は整っていました。ワインが飲み放題とあって、金沢から見えた歯医者のご夫婦、名東区の建築事務所を経営されているご夫婦、T自動車のご夫婦等と十分にディナーを堪能する事ができました。フルボトルを1本半か、それ以上飲んだかも知れません。
 ショ-はソプラノの方の司会で進められ、皮切りはフニクリフニクラでした。日本では「赤い火を吐くあの山へ登ろう、登ろう」の翻訳歌詞で知られる、あの歌です。その後の曲も「帰れソレントへ」「オーソレミオ」等、日本でもおなじみのイタリア民謡が相次ぎました。
 ソリストのそれぞれの方が見せ所を作っていました。中々の実力者揃いとお見受けしました。帰りには自分のCD出版も宣伝されていました。殊に一番若いと思われるテノールの背の高い人は、声量、演技力ともに将来の活躍が期待できる人ではないかと、勝手に素人判断してみました。バリトンの人は、少し声量等で迫力不足に感じました。
 ディナーショーの終わりには、アメリカ人グループの女性全員に花束が渡されました。此処でもイタリア人らしい憎い演出を見せられました。しかし、我々のグループの女性達には花束が渡されませんでした。
 後で、その理由を聞いてみましたら、「セットの値段の違いです」と、あっさりしていました。いずれにしても、十分に満足のいくディナーショーで、ローマの夜を大いに楽しむ事ができました。


  ローマ市内観光の途中にて
 古都ローマ尚その下に古き街礎石見せたり赤きその石

 気の長き国の民かな警音を発すること無き街の静けさ

  バチカン市国において
 大戦の終りて過し半世紀イタリアは沸く今ミレニアム

 戦に始まり終えるこの世紀神のみぞ知る次の世紀は

  昼食を摂ったローマ市内のピザの店にて
 イタリアのワインに酔し昼下りピザの店にて雷雨過ぐ待つ

  昼食の後のローマ市内自由観光にて
 雷雨来て逃惑しも暫は雨宿して時を待つらん

 聖職の人は連立ち街角の石の畳は雨に濡れおり

 聖職の衣の裾を目で追つそぞろに歩く異国の路なり

  トレビの泉にて
 雨止みて迷いて着きぬトレビなる泉に立し白き群像

 肌白き大理の像の雨に濡れ眼に眩しくも暫し見惚れぬ

  スペイン広場近くにて
 石畳歩き疲れて珈琲のスペイン広場に近きその店

  夜、カンツォーネの店で
 日本の母を持たる彼の国の若きガイドは髪を染おり

 イタリアの若きガイドに導れディナーの夜の歌に酔けり

 カンツォーネ聴つつ異国の夜は更ぬ地下に潜し奥深き店

 蝋燭の明りの卓に整列し宴はすすみ炎揺たり

 芯少し残るパスタを噛しめてホワイトワイン絡め飲下す

 カンツォーネ皮切りの歌火の国をフニクリフニクラ共に歌いぬ

 蝋燭の光に写す横顔のディナーの友はアメリカの人

 赤き薔薇女性の客に皆渡しイタリア式のショーは終りぬ

2010/08/29 02:08:18

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